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更新日 2015-08-06 | 作成日 2007-09-15

Stories of The Rain

夢見るころを過ぎても

第三章 サラリーマン生活との和解

written by Akio Hosokai

dummy_022.jpg 大学を卒業して社会人になると、当たり前だが、学生時代とは全く違う環境になった。メンバーが集まることすらできない。その時々に応じた歯抜けメンバーでの練習を続けていた。ライブ活動はいっさい中止して、もっぱらスタジオでの練習に明け暮れた。大きく変化したことは、オリジナルの出現だった。仲本がフォークソングのような元曲を持ってきて、メンバー全員で「ああでもない、こうでもない」といじくりまわして、だんだんとロックっぽく仕上げていく。この作業は新鮮であり、かなり面白かった。もう一つの変化と言えば、あのマジメな屋代がとうとうバンドに加わったことだ。練習に遊びに来てすみっこで聴いていた男が、なんとサンタナを弾くのだから、晴天の霹靂だ。柔道や空手で鍛えた武骨な手でレスポールを唸らせている。しかもオリジナルまで作っていたのだから、あきれて言葉も出ない。しかし、社会人になってもっとも厳しい致命的な問題は勤務地だった。和田が新潟の工場にエンジニアとして配属され、仲本は仙台や沖縄の営業所勤務が続き、名和は故郷の会社に就職した。心肺停止状態だった。やむなくバンド活動停止。

 そんな寂しさを紛らわすかのように、結婚ブームが沸き起こった。まともな結婚とは縁がないと思われていた荒木、仲本、細貝が、あろうことか、ばたばたと終止符を打った。しばらくして和田と屋代が後を追った。バンドメンバー達は普通のサラリーマンになってしまっただけでなく、家庭まで持ってしまった。もう、後には引けない。

 ところがThe Rainのメンバー達がそんな普通の生活に満足できるわけがない。そこまでバンドがやりたかったのかどうか?「営業職を希望します!」ということで和田が東京に帰ってきた。地方勤務ばかりの生活に嫌気がさした仲本が会社を辞めた。彼らはそういう乱暴な方法でサラリーマン生活と和解した。荒木と屋代と細貝は東京でじっと息を潜めて待っていたので、なんのことはない、全員集合だった。かわいい子供も生まれ、会社では課長クラスになっていた30歳ちょっと過ぎの話である。いったい何年待っていたんだ。これ以上は待っていられなかった。少しづつ練習を続けていたコピーとオリジナルを引っさげて、乃木坂でライブ活動を再開した。聴いてくれる人がいるということは、なんと素晴しいことなのだろう。感涙、感涙。それからの2?3年は新宿の「キャロルハウス」にホームグラウンドを移してライブ活動を続けた。しかし、サラリーマン生活が手のつけられないほど超多忙になってしまい、その後の数年間はスタジオ練習に徹した。だからと言って、ライブ活動を停止したことによる精神的な飢餓状態は、もうなかった。

 それぞれのメンバーがそれぞれの方法でサラリーマン生活との和解をした時代の話である。