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更新日 2015-08-06 | 作成日 2007-09-15

Stories of The Rain

夢見るころを過ぎても

第三十八章 インフラストラクチャー

written by Akio Hosokai

661_studio_img.jpgここんとこの懐古趣味や健康話、早い話が、どうも俺、心身ともに急激に老朽化したからだと認めざるを得ない。ごめんな。めっぽう、気が弱くなってしまった。

老朽化と言えば、高速道路や橋、上下水道やガス管といった生活の根幹にかかわる設備が軒並みヒドイ状況になっているそうだ。そういう都市インフラはそう簡単に造り直すわけにもいかず、修理で対応するケースがほとんど。先を考えると不安だよね。

インフラと言えば、大きな音を出すバンド、とりわけROCK BANDにとって必要不可欠な設備。それは間違いなくスタジオ。大音響で練習できる場所を確保することが第一歩だ。
その練習場所について、The Rainが歩んできた足跡と現在の環境を書き連ねてみよう…

【学生時代】なんと、仲本憲一と荒木章安の家で練習した。仲本の家にはパトカーが来て注意されたし、荒木の家では近所から「おばあちゃんが死にそうなので、もう少し静かにして…」と懇願された。それでも、時を変えて練習したもんだ。何回か屋代雅邦の田舎で合宿したが、あまりのうるささで、地元の漁師に怒鳴り込まれたりした。とにかく、金がなかったとはいえ迷惑千万な話だな、まったく。
【社会人初期】仲本憲一の親父さんが経営していた工場、京王線仙川のスタジオ、日吉のヤマハスタジオ…LIVE活動を中断していたこともあり、この辺りで地味に練習していた。日吉の時なんざ車で通っていたものだから、練習後はビール一杯で帰るというクリーンな期間だった。もっぱら、オリジナル作りに精を出していた。
【社会人中期】やっと分別がついてきたので「スタジオで練習する」という方針を決めた。
祐天寺のUSAという、暗くて小さくて汚いスタジオが定宿になった。一生ここで練習かと思うと気が重くなっていたことは事実。すでにLIVE活動を再開していて、途中から塚田哲男も参加してきた。何と言っても、祐天寺で一番まともな飲み屋が「養老乃瀧」だったことが、致命的なマイナスポイントだった。
【社会人後期】細貝が別のバンドに参加したことから、音楽館というスタジオチェーンを知ることになった。通い詰めた汚い渋谷店が閉館になり、渋谷駅前店がオープンになって現在に至っている。渋谷駅から歩道橋を渡るだけでスタジオなので、老体には便利だが、部屋が狭すぎるのが欠点。それでも値段のわりにはめっぽう旨い料理を出す「采」という飲み屋が近くにあり、常連にもなれたので大満足。でもね、スタジオで3時間練習して、その後の飲み食い込みで¥5,000~¥6,000ほどで済むのだから、実に堅実な趣味だよな。

しばらく音楽館渋谷駅前店を使う所存だが、ここのコンサートホールを借りて複数バンドが競演し、「采」で全員参加の打ち上げをする…ってな催しをやってみたいと思っている。