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更新日 2015-08-06 | 作成日 2007-09-15

Stories of The Rain

夢見るころを過ぎても

第三十六章 音楽の共有と普遍性

written by Akio Hosokai

mugen02.jpg「だれだ、こんなの入れたのは!」…「ごめん、俺だ」そう言って松田幸雄は立ち上がり「与作」を歌い始めた。ああ~、もう歯止めがかからん。リモコンの予約装置はひっぱりだこだ。タイガースやら井上陽水やら越路吹雪やら。さっきまでライヴハウスで一応「ROCK」と言える音に浸っていた連中が、30分もしないうちに本性を現わしやがった。

恒例のLIVE後のカラオケ。去年は若い女性もいたんだが、今年は異様な風景。一番若い
のがThe Rainの塚田。他は全員63歳。そう、井荻中学校同期の連中が同行したわけよ。
そういう俺も「あんたのバラード」をやりたかったんだが、「シコ」を踏むスペースがないので、キャロルのファンキーモンキーベイビーなんか歌っちまったぜ。
「細貝君たちのLIVE。久しぶりにノッチャッタ。踊りたかったくらい」…そう、あの時代の女はハードロックでも踊ったもんだ。ツェッペリンやディープパープルで踊るんだぜ。学生時代のThe Rain「乱痴気LIVE」には、必ず踊るスペースを用意しておいたもんだ。

ああ、思い出すなあ。かの昔、赤坂にMUGENというディスコがあった。ディスコという呼び名すらない時代のディスコ。B2がステージとダンスフロアでB1にドリンクコーナーがあってB2を見下ろせた。B1にはUS NAVY目当ての外人コールガールもいたし、横を見るとペドロ&カプリシャスの今は亡き前野曜子がいたりした。出演バンドが一流だったので、サラリーマンになり立ての頃、俺はMUGENに入り浸っていたもんだ。

「歌は世につれ、世は歌につれ」ではないが、その時代その時代の歌ってあるよなぁ…。
人生の旬を過ぎた我々のような仲間がカラオケに行ったりすると、つくづく感じる。「う。これ、懐かしい。やだ、泣きそう…」孫のいる女が本当に泣きそうになっている。そう、みんな一生懸命に生きてきたんだもんな。わかるよ…わかるわかる。たまには…、泣けや。
「音楽の共有」というより「時代の共有」。妙に心が和らぐ。12歳から15歳くらいの時を共有した連中が、毎年The RainのLIVEに来てくれる。中にはROCKのROの字も理解できないヤツもいる。それでも、来てくれる。もう、こっちの方が泣けてくるぜ…。

ROCKという暴力楽曲が世に出て、どうだろう、もう50年は経つのかな。あの時代までの音楽は超コンサバだったので、それはそれはインパクトが大きかった。しかし時の変遷とともに、ROCKは人々の耳に違和感なく入り込むようになった、と思う。The Rainが演奏する昔のROCKを聴いて若い人もノッテくれることを考えると、その根底には音楽としての「普遍性」があるような気がしてならない。年齢や時代を超えた音楽の本質というか…。

だからThe Rainは、「共有」を大切にしながら「普遍性」も追求していこうと考えてます。