| HOME | Stories of The Rain | 第十八章 |

更新日 2015-08-06 | 作成日 2007-09-15

Stories of The Rain

夢見るころを過ぎても

第十八章 ロックンロール・レクイエム

written by Akio Hosokai

IMG_0051.jpgその部屋は明かりを点けてもうす暗く、インドっぽい香がたかれていた。沈み込みそうな空気の中で、ロックではないLPレコードが、静かに回転していた。出された飲み物は、ジャスミンティー。

The Rainには、学生時代、もう一人のメンバーがいた。仲本憲一が、沖縄に帰郷する琉球海運の船中で見つけた男だった。彼も沖縄出身で年齢は我々と同じだった。ロックバンドの経験あり。自然な流れでバンドに加わり、The Rainとして人前で初演奏したのが、あの千葉外房の鵜原海岸での真夏のライブハウスだった。愛用のギターがグリーンのセミアコだから、それだけでも一癖も二癖もありそうだ。
第12章で出てきた外間篤志。苗字はホ・カ・マと読む。通称「あっちゃん」。あっちゃんのステージはすごかった。もともとミックジャガーのような顔立ちなのに、その上、化粧をする。アイシャドーとかルージュとか。Gパンを脱いで、Tシャツをブリーフに折り込む。もう、何が何だか識別不可能。当時として、摩訶不思議な世界。
独特の鼻にかかった声で、英米人には通じない英語を唄う。自信がなければ出来ない技。カッコよかった。生まれて間もないThe Rainにとっては、いきなり高校生になったような錯覚を覚えた。いっきょにロック度が増し、「不良の格付け」が上がったような気がした。あっちゃんのおかげで、初期のThe Rainは、ボーカルの仲本のレパートリーだけでなく、もう少し広い曲想にチャレンジできたと思っている。

冒頭の部屋は、そのあっちゃんのアパート。何かバンドで揉め事があった夜、メンバーでおしかけたような記憶がある。ステージでの印象とは程遠い、意外と渋く物静かな人物像が感じられた。そこで、続きの酒を飲んだかどうかは、記憶にない。
The Rainがやった学生時代の狂乱LIVEのすべてにあっちゃんが参加したわけではない。ただ、常に、つかず離れずの存在であったことは間違いない。彼はその後、故郷の沖縄に就職し、家族にも恵まれ、若者たちとロックバンドもやっているとの風聞が入っている。バンドとしては交流が途絶えたが、彼の存在が、The Rainにとって大きな1ページだったことに一点の曇りもない。

「あっちゃんが死んでしまったよ!昨日…」平成21年5月20日の深夜、屋代から電話が入った。「何か、肝臓の難病らしい…、家族には内緒にしていたらしい…」
……ああ……悲しいぜ…。んだが、その悲しさには現実感がない。だって、お前、今、俺のそばにいねえじゃねえか!…会いたかったぜ!
お前と同じ時空に戻るため、これから昔のカセットテープを回すことにした。あっちゃん、久しぶりだなあ。いや、待て待て、細貝、まだ泣くな!あっちゃん、安らかに旅立てよ!