第八章 初めてのジャムセッション
written by Akio Hosokai
平成19年もすでに晩夏。今年は暑かった。地震で原発が運転中止になり「13時から16時まではエアコンを控えめに...」、だってさ。東電さん、勘弁してよ!
んなことより、その後、どうなったかって?いやいや、いろいろありました。夏もLIVEをやりたい!という屋代の提案に、うっかり乗ってしまった。なので、オリジナルCD作りはお休み中。しかし、苦労に苦労を重ねた途中までのCDの出来映えは、それなりに良い感じである。...と思う。
「1年に2回も同じようなLIVEをやっても意味ない!」ということになり、夏はジャムセッションにしようと考えた。JAMだってさ。かっこいいじゃん。しかし、そんな簡単にJAMはできなかった。どういう曲を選べばいいんだろう?参加してくれる人はいるのだろうか?企画倒れになりそうだった。
ところが、神様はちゃんといたんだ。まず、屋代の弟にギターソロをやってもらう。自分のバンドでRAINのLIVEに出演しているのだから、これは自然の成り行きって言うか、ほぼ命令。次に、和田が女性ボーカルを連れてきた。まあ、次から次へと、よく見つけられるよなあ。バンドでお世話になっている銀座のアドリアの常連客、英子さん。そして、なんと、谷輝夫。第1章で登場したアイツだ。THE RAIN誕生に貢献?した人物であり、鵜原海岸での真夏のライブにも参加したワルだ。押入れから何十年ぶりに出して多額の修理代を払ったセルマーを引っさげて、久々に不良になる覚悟だとさ。
んで、7月に、JAMやりました。このホームページに写真も載せてあるのでご覧下さい。屋代の弟、兄貴に似ず、かっこいい男だね。クールにギターを弾いた。ありがとう。英子さん、「ミニスカートに網タイツ」というふれこみにワクワクしていたのだが、当日はロングスカートでやんの。次に出演する時は、ロングはだめよ。裸足になって、シンディ・ローパーを唄ってくれた。ありがとう。谷輝夫。学生当時の倍の体重になっているわりには、かっこよかった。サマになっていた。音も出ていた。なんたって、かの昔、いっしょにやっていたわけだから、いまさら、何も言うことはない。こうして、彼も不良老人の仲間に入ることになりました。
と言うことで、本当の意味でのJAMだったかどうかは疑問が残りますが、初めてのジャムセッションは終了しました。12月にはライブ本番があります。7月のジャムの成果を取り入れ、久々に新曲も増やすので、乞うご期待であります。